こんにちは、かまけんです。
私はアイドルオタクを10年間続けてきました。
今回アイドルオタクになったきっかけとどんなオタク人生を送ってきたのかを書いてみたいと思います。
※今まで以上に自己満の記事なので、興味ない人はブラウザバックを推奨します。
2000~2005年 モーニング娘。期
まさに世の中でモーニング娘。が流行っていた時期です。
ちょうど、後藤真希加入してラブマシーン発売した頃ぐらいに妹がハマりだして、私も一緒になって見ていた感じです。
正直この頃はオタクというよりかは、いち視聴者としてテレビを見ていたり、CDを聞いていたりしたレベルです。
でも、今思うとこの頃にオタクとしてのベースが出来ていたのかなと思います。
ちなみに当時激ハマりしていた妹は次第にブームがさっていましたが、私は変わらずずっと情報を追っかけていました。
2006~2010年 AKB48期
2006年の高校生の時にMステを見ていたら、当時まだ世間的にはそこまで有名じゃなかったAKB48が『スカートひらり』で出ていました。
最初見たときの印象は『なんだ、この破廉恥な集団は』でした。
ですが、モーニング娘。とはまた違った魅力を感じて少しずつハマっていきました。
イメージ的にいうと、モーニング娘。はアイドルとしての『完成系』、AKB48はアイドルとしての『成長過程』というような感じです。(※個人の感想です)
当時は地方に住む高校生だったので、『ライブで東京まで行く』という概念が全くなく、完全に『在宅』(アイドルオタク用語でライブに行かないオタクのこと)でした。
それは大学生になっても同じで基本はYouTubeに上がっている動画を見てニヤニヤしているような生活を送っていました。
ちなみにAKB48内での推しメンは前田敦子(2006年~2009年)、高城亜樹(2009年~2010年)という感じです。あきちゃ好きでした。
ですが、2008年頃になるとAKB48の知名度が一気に上がって、僕の周りのアイドルに全く興味のなかった友人もAKB48のことを好きと言い出す世の中になってきました。
その時の僕の心境としては前から好きだったアイドルが売れてメディアにもたくさん出て『嬉しい』という感情もありましたが、それ以上に大きかったのがAKB48を前から知っていたのにも関わらずライブに一度も行っていなかったことへの『後悔』でした。
その頃になるとAKBの人気もすごくて劇場のチケットも取りづらい状況だったので「今更ライブに行くのもなぁ…」という変なプライドのようなものがあったような気がします。
今思うと、「何、変なプライドを持っているんだよ」って感じです。
2010~2011年 ももいろクローバー期
2010年にYouTubeである動画に出会いました。
当時この動画を見て衝撃を受けたのをよく覚えています。
ヒャダイン氏の作るジワジワと癖になる曲に合わさる糞ダサい振り付け。(←褒めてます。)
それまで知っていたモーニング娘。やAKB48が『王道』とすると、ももいろクローバーは完全なる『邪道』でした。
AKBの時のような後悔はしたくないと、この動画を見た直後にももクロの公式サイトでスケジュールを調べて、一番直近のイベントへ行くための夜行バスを押さえました。
当時の自分の行動力半端ないなと今でも関心します。
そして、ここからが私の本当のオタク人生が始まりです。
初めてのアイドルライブ、初めてのアイドルとの握手、初めて出来たオタク友達、初めての遠征、初めての野外フェス。
とにかくオタク人生1年目は初めて尽くしで何もかもが新鮮で楽しかったのを覚えています。
2011~2013年 DD期
2011年後半になってくるとジワジワと一般層の方にもももクロが認知されてきて、ライブの集客規模も数千人レベルになっていました。
それに伴いチケットも取りづらくなり、握手会といったアイドルとファンの交流もなくなり、次第に周りのオタク友達も少しずつももクロ現場から離れていきました。
私も少しずつももクロ以外のアイドル現場にも行くようになりました。
本当に色んな現場に行っていましたが、主なところでいうと下記のグループです。(ほんの一部です)
- SUPER☆GiRLS
- ぱすぽ☆(現:PASSPO☆)
- Cheeky Parade
- ベイビーレイズ(現:ベイビーレイズJAPAN)
- 関西地下アイドル
- でんぱ組.inc
- アップアップガールズ(仮)
- THEポッシボー(現:チャオベッラチンクエッティ)
いわゆるDD(誰でも大好き)期です。
特にメインの現場と言えるようなところはなく、毎週のように対バンライブに行って、出演者全員のライブを見て楽しむようなスタイルでした。
2012年頃は就職活動真っ只中にも関わらず、就活そっちのけでオタク活動してました。
採用面接で企業が交通費を出してくれるので、それにあわせてアイドルのイベントの予定を組むというクズっぷりです。
2014~2018年 ポッシ・チャオベラ期
DD期も楽しかったのですが、次第に現場数を減らすようになり、最終的にはあるグループに落ち着くようになりました。それが、
THEポッシボー(現:チャオベッラチンクエッティ)
THEポッシボー(現:チャオベッラチンクエッティ)はメンバー全員がハロプロ出身。(色々あって別事務所に移ってますが)
実は私はモーニング娘。でアイドル好きになったにも関わらず、ハロプロのアイドルを全く経由していません。その理由として、ハロプロ現場には、歴史が古い分、現場の敷居が高いイメージがあったのでどこか敬遠しているところがありました。
そんな私が最終的に落ち着いた場所が、ハロプロ出身のポッシ現場なのだから、人生何が起きるか分からない。
ポッシ現場にはまったきっかけは色々あるけど、なんだかんだで一番の理由は「落ち着く現場」だったかなと思います。
メンバーもそうだし、オタクも、スタッフも、とにかく人間関係では一番居心地のいい現場でした。(もちろんライブも最高でしたよ)
この頃に初めてツアーを全通したり、初めての海外遠征に行ったりと、本当に楽しい思い出ができました。
そんな中、2018年4月24日にチャオベッラチンクエッティが結成12周年を迎える8月2日をもって解散することを発表。
発表から解散まで100日程度だったけど、今思い出しても本当に一瞬でした。
解散発表直後、渋谷でのツアー初日では不安こそあったものの蓋を開けてみたら『お前ら本当に解散するんかよ…』ってぐらいいつも通り、いや、いつも以上に楽しいライブでした。
正直この時はまだ解散するなんて全く実感湧きませんでした。
それでも一つ一つのライブを消化していくうちに『この曲が聞けるのも最後かな』『あと何回ライブが見れるかな』と少しずつ考えるようになりました。
ツアー最終日の大阪MUSE、僕の一番好きな『んふっとメリークリスマス!』を披露してくれました。
あのイントロが流れた瞬間は多分一生忘れることはないと思います。
最後の関ケ原、1日だけの出演だったけど、最後の野外フェスにふさわしい昼夜ともに文句のつけようがないほどに最高のセットリスト。
昼の豊臣ステージ、ハピネスでのリフト。あれが恐らく僕の人生最後のリフトになると思います。笑
夜の徳川ステージ、スパボでのサークル、ロンちゃんに泣かされそうになったこと忘れません。笑
関ケ原は本当に最高の仲間たちと最高の戦いが出来た最高の思い出です。


そして8月2日のラストライブ。
ライブの詳細までは書きませんが、理想的なラストライブだったと思います。
特に最後に披露した『ヤングDAYS!!』
語彙力がなくて申し訳ございませんが、あの瞬間は鳥肌がやばかった。
チャオベラさんには本当にやりたいことを全部させてもらった気がします。
なにより本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。
多分このブログがメンバーのみなさんの目に入ることはないと思うけど、改めてこの場を借りて感謝したいと思います。
チャオベラさんがいなかったらつまらない日常を送っていたのかなと思います。
チャオベラさんがいたから何もなかった日々に生きる目標が出来たんだと思います。
大げさじゃなくて割とマジです。
本当に10年後の2028年に1日限定でもいいので復活してくれれば、その日を楽しみにこれからも生きていきたいと思います。
10年後もしっかり跳べるようにトレーニングはできる限り継続していきます。
最後に
後半はチャオベラさんメインの記事になってしまいましたが、今回は私のアイドルオタクとしての遍歴みたいなものを書いてみました。
世間一般では『アイドルオタク』っていうのはある意味『社会不適合者』みたいなイメージ持たれるかもしれませんが、個人的にはアイドルっていうのは誰かの生きがいになり得るし、アイドルとともにオタクも成長していける、日本が世界に誇るべき素晴らしい文化だと思っています。
金銭面でのメリットっていうのは恐らく全くありません。とにかくお金のかかる趣味です。
でも、それを差し置いても貴重な経験ができるアイドルオタクっていう趣味を私は他人に是非お勧めしたいなと思っています。
最後に私が好きなアイドルソングベスト3を置いておきます。
では、また。